魂(こころ)の存在
記事/くりこ(2003/11/12記)
大袈裟な題をつけてしまいましたが、私の経験した二つのお話をしたいと思います。
最初にお話するのは、私の叔母のことです。昨年の春先の事です。叔母は、くも膜下出血で倒れ、救急病院に搬送されました。 連絡を受け病院に駆けつけた時には、叔母の意識は無く、ICUに運ばれていたのです。
医師からの病状説明を受け、手術をするか否かの決断を迫られるのです。叔母は夫に先立たれて、一人で暮らしていました。そのため、その判断は姉で有る私の母がしなければなりません。医師は、淡々と言うのです。
「手術をしても完全になおりません。最悪、植物状態です」
それなら、これ以上、叔母の身体に負担を掛けたくないという事で手術をしませんでした。
危機を脱した叔母は、ICUから、病室へと移されたものの、意識は戻りません。叔母は一向に目を開けようとしませんでした。声をかけ、手を摩り、あらゆる事を試みたのです。もし、叔母が生きたいと思う気持があるなら、絶対に意識が戻ると信じて・・・。
そんな時、好きな音楽や親しい人の呼びかけで、意識が戻る事があると聞いた事があったので、叔母が元気な頃に、大好きで、リサイタルやディナーショーに出かけていた「すがはらやすのり」さんという歌手のテープを、叔母の耳元で来る日も来る日も聞かせたのでした。
そんな、ある日の事です。叔母の眼から一筋の涙が零れ落ちたのです。叔母の意識が、戻った瞬間でした。すがはらさんの美しい優しい歌声が、叔母の生きたいという魂(こころ)に響いたのだと思いました。
今、叔母は、少しずつ良くなって来ています。この間、お誕生日を迎えて79歳になりましたが、でも、本人は二十歳だと思っています。後遺症と年齢に寄る痴呆も有りますが、笑顔で私達を迎えてくれる叔母。生きたいという魂(こころ)の凄さを見せて貰ったような気がします。
もう一つのお話は、数十年前の話です。娘と同じ幼稚園に通っていた園児のお母さんの事をお話しなければなりません。
私は、何時もその人を羨ましく見ていました。清楚で美しい、古い言い方をすれば「白百合」のような人で、優しげなお母さんでした。
もちろん、一度もお話をしたことなど有りませんでしたが、ある夕方、買い物帰りにその人と出会ったのです。その人とすれ違った瞬間、不思議な感覚に襲われました。どう言い表せば良いか分かりませんが、私の身体をすり抜けられたような気がして、振り替って暫く見ていると、地に足が着いていないと言うのでしょうか、ゆっくり、ゆっくりと歩いていく後ろ姿は、浮いているような感じでした。
そして、翌日、連絡網が回ってきました。
「〇〇さんのおかあさんが、亡くなられました」
耳を疑いました。だって、昨日会ったのに・・・・。
後で聞いた話です。私が出会ったその日の夜に、近くの川に身を投げたと、自殺だったのです。私と出会ったときには、その人の魂(こころ)は身体を離れていたのかもしれません。とても、悲しい事です。
この二つの経験から、魂の存在を信じたくなりました。