四国三郎と阿讃山系ツーリング
記事/BB☆ひろ(2004/2/24記)
前編
春の兆しもちらほらみえる二月十日、久しぶりの陽気に誘われぶらっと走る事にする。おニューのオフロードブーツも昨日届いたばかりだし履き慣らしておきたい。西の山は雪も残ってるだろうけどたいしたことは無いだろう。久しぶりに農道ツーリングに決定。
「坂東太郎(利根川)、筑紫次郎(筑後川)、四国三郎(吉野川)」というのは明治時代に言い出されたものです。これは関東代表(本州)・九州代表・四国代表の各河川を単純に三つ並べただけ。水運で大いに賑わっていたという点で、いずれも当時は重要な河川だったのだろう。この頃は未だ四万十より吉野川がメジャーだったってことか?
まずは、グランドがあったり、田園風景だったり、雑木林だったりと、変化にとんだ吉野川中流域の景色を堪能しながらのんびり走る。
冬枯れの潅木に渡り鳥が羽を休めている、、、のどかな光景が広がる。なぜか馬が一頭だけ放されていたりする。馬刺しが食べたくなったw。
そして、土手の横には半鐘と手回しサイレン。まだわりと新しいのは最近まで使われていたためだろうか? 火災用というよりも河川の増水時のためのものだろう。
川幅が広く河川敷も広い。本来河川敷は国の管理地のはずなのだが、、、納屋があったり、畑が広がっている。そして畑から出るゴミビニールハウスの残骸がそのままも放置されたままこれには思わず顔をしかめてしまう、吉野川が今ひとつ清流としてアピールでいない原因の一つだ。
しばらく土手を走り県道を経由。うだつの町並み脇町に入る、 実際うだつが残ってるのは数百メートルだけだし、個人的には愛媛大洲のおはなはん通りや岡山倉敷の美観地区のが見ごたえがあると思っていた。
実際、数年前までは普通の田舎町の民家みたいなものだったのだが、景観保護区だからリフォームもできないとぼやいていたある知人の家も知らない間に立派なうだつの上がった(笑)漆喰造りの屋敷にリフォームされていた (唖然)。
そういえば、「オデオン座」も綺麗に改築されててむかしの今にも倒壊しそうな(失礼)廃屋感が良かったのに、なんかダサくてモダンな公民館みたいになってしまった。
一通り街中を見て回り、新道には大型店舗の乱立具合に驚きながら目的の広域農道へ向かう。
Going Next Road!
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