てぃあら♪の波瀾万丈!番外編【親父と口喧嘩】
記事/てぃあら♪(2014/10/29記)
実録ドキュメント:てぃあら♪の波瀾万丈!
番外編【親父と口喧嘩】
現在は、兄家族と同居している父母。
母に用があり電話したら、母は呑気に同窓会に帰郷中。母の故郷は九州大分県。私は呆気にとられた。私は原因不明の病気と数年前の交通事故に巻き込まれが原因の後遺症も有るのか、全身の痛みと事故の時に引き金となって出てきた複合型PTSD(時にパニック発作有で救急搬送になる程)で働けない。
市役所で「親御さんに援助しては頂けないの?」と言われたが、年老いた年金暮らしの親に、援助を申し出るのも申し訳無いとも思い、父も母もお金何て無いと言うし父に至っては前回書いたように今でも釣り、パソコン、グランドゴルフ、カメラにと趣味三昧なのに「俺も歳だからなぁ、お年玉もそうやれんぞ。」と2年前に言われたが、今年は三男も高校卒業して小学生の娘のみとなった我が家のお年玉値段下げると言う。実際下がってた。娘もだけど息子たちも今まで頂いたお年玉はゲーム等の高額オモチャや、毎年当然成長するのでお年玉で服を購入していました。勿論、じいちゃんである父にも言ってあったので年令関係無く一人一万円頂いていました。今年から半額(苦笑)
それでも、兄家族と同居しているので兄家族に迷惑とかかけて無ければ、何も言いはしなかっただろう。
2014/10/23、上記の母に代わる予定の電話したわけで。呑気に同窓会…(^^;までは、良かったが、夕刻まだ5時頃に電話したのにもう、酒呑んで酔っ払い!
兄貴達にもう少し協力したって?と言っても、やはり「俺も歳だから働くのも大変なんだぞ。時給千円で草刈機(刈り払い機)の燃料代込みで!年金も減ったし。」と言うので、私は「その歳で時給千円は高いじゃん!」今時皆さんもご存知の通り若くても時給千円なかなか無いですよね。深夜のコンビニとかなら時給千円ですが。
で、前回書いた兄への虐待や、私達兄妹が靴や服を我慢させられ、私はそのせいで【臭い】【汚い】等と小学校6年間虐められた事言ったが、父、「そんなこと知らん。」でした。
そして始まった言い訳。
私が10才頃までは、母に全て給料を渡してタクシー黄金期だった為自分の当時の趣味猟銃、釣り、カメラ、煙草に女?もでしょうね、全てチップで遊んでたんだから何が悪い的な?
そうそう、思い出した!ギャンブルも競馬、競輪、競艇、後にパチンコへと、まぁ、酔っ払いは毎日呑むので私が物心つく頃も平気で喋ってたし、よくパチンコ屋へ一緒に連れてかれてたわ。幼い私は父が喜ぶと思い、パチンコ屋の廊下?通路ですな。幼いので暇だしパチンコ玉拾っては父に渡してたけど、何故か父が喜ばないし今なら解るけど注意するよね~(笑)流石に今はパチンコよりも自分の趣味が多いから行きたくても行けないみたいだけど~(笑)昔はよく「指の運動行ってくる」と言うてたなぁ。(苦笑)
女についても、母がよく泣いてて何度も繰り返すうちに【筒持たせ(女を餌にホテルに入ったりしたら男が出てきて金をよこせ的な悪質行為)】にあったそうで、私はまだ小学生低学年だったけど、よーく覚えてる。本名かは解らないけど名前は”つやこ”(苦笑)金持って行って殴られて帰宅したらしい。
その後も、【筒持たせ】には気を付けつつ?(^^;女遊びは母が癌宣告受けるまで続いたと父が自慢げに言うから還暦まで最低女遊びは続いていたとか。父と母は結婚が早く17と18で結婚してるので、約42年間も女遊びは続いた訳ね(^^;娘の私が結婚した頃から実家へ行く度に酔うと、「俺もまだモテるだろ?信じられんわ♪」と上機嫌で私と私の夫に話す。その夫も癌になり闘病し余命宣告受けた直ぐ後にまさかの母が癌宣告!!当時母も手遅れで余命1週間だったけど、私が夫も入院していた癌センターに母を転院させ、奇跡的なのか、母の命は手術成功によって今も生きているが、私は一人で夫と母を世話し夫の病状や余命宣告も私一人で聞き、今で言う重度の【鬱病】で、父が一人になった実家へと行った時の酔っ払い話は酷かった!浮気では無く遊びだと言うし、母が癌宣告受けたからもう女遊びは止めたとも言ったが、過去の栄光?話は酷かった!避妊道具の男性が着けるゴムが手元に無かった時にラップで代用したと、父にとっては面白いことなんでしょうね、まぁ、父もある意味病んでたからでしょうが…(^^;娘の夫が余命宣告され母もまだ手術前で二人とも余命宣告状態で、娘の私が重度の鬱病で帰郷してるってのに、てか、普段でも父親がいくら結婚したとは言え娘に話す内容では無いよね。
酒と酒のツマミが半端無く金かかっていたことを、父は理解できていないようで、私も大人になった今だから酒と酒のツマミの消えてく金の大きさが解るようになったけど、最初は兄達についても理解したかのように返事してた父。言い合ううちに父は逆ギレしたのか「いい加減にしろよ!何の為に俺がこのクソ暑い中必死に時給千円で働いとると思っとんのや!近所の(同年代の)人達がやれ旅行だ何だって遊んどる中俺は時給千円で必死に働いとるんや無いか!」とまぁ他人が羨ましいんですな。結局タクシー黄金期遊びまくって豪遊してた父は今の自分が惨めなんでしょうね。
で、私は「いい加減にするのは父さんの方や無いの!兄貴の気持ちも私の気持ちも、解ってないのは父さんの方でしょうが!」
って言ったら、バツが悪いと感じたのか、「ほーか、ほーか、解った。そんな風に思っとったんか!あー!もういい!かってにしろ!」だって。(苦笑)
酔っ払い、この話結構何度も話しているのにキレイさっぱり忘れてる。だから、毎回初めて知ったとか、知らなかったとか平気で言える父。又忘れるの解ってるけど、私も頭に来るからね…(^^;
親だし、当然良い思い出も沢山有るから、育ててくれたのは有り難いと思うので、兄貴も私もしっかり面倒みるつもりはある。父は理解してないし、信じてもいないようだけど。
後日、九州から帰宅した母と電話での話を聞いたが、私の小学生当時生まれつきの先天性心臓疾患の為大酒呑みの父を怒らせないように、贅沢なツマミ用意しながらも、私の心臓手術(当時は子供の医療費も大人と同じだった)の為に私の学資保険もかけられない為、父の名義(当時は保険も世帯主名義しか出来なかった)で貯蓄目的でかけていたので、当然兄の学資保険もあったようだが、私が小4の頃家を建てる頃迄に母は三百万私の心臓手術の為(当然兄の学資保険も含みだろう)貯蓄していたのに、父は自分名義の保健勝手に解約した。とは言え、家の新築資金にしたわけでは無いと言う。土地は相続で入手。新築した家は総額650万円当時のシステムで金融公庫は抽選で倍率が高かったらしいが当たったので金融公庫で還暦前迄でボーナス払い無しの分割支払い月額三万円程で利子加えて総額一千万円。ボーナスは年間百万円程度有ったらしいが、母には渡さない。母がやりくり出来なかったと考えた父は新築当時(私が小4)家計も父が一人でやっているので、新築後の母と私達兄妹の貧乏はずっと続いた。母は、私が幼い頃まで父にDVされていたためか、酒さえ呑ませておけば機嫌が良いと身体が覚え込んでしまっているらしいので、今でも呑むことに文句は言えないようだ。あの頃の三百万は何処へ消えたのだろうか…。
因に、少し調べましたが物価等で価値を考えると少なくても5倍、多くて10倍程になるようです。
何か、親だけどガキみたいだわ。(苦笑)