くりちゃんの住む街~小さな旅
記事/くりこ(2003/11/4記)
私の住んでいる横浜の鶴見には、大きなお寺があります。「大本山総持寺」このお寺の名前に、聞き覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
国民的大スター「石原裕次郎」さんのお墓が有るお寺です。
自分の住んでいる街を、皆さんにご紹介するにあたって、久し振りに裕ちゃんのお墓を訪ねてみようと思いました。
JR鶴見駅西口を、横浜方向に5分程歩いて行くと、総持寺の参道に着きます。参道の入口を挟んで、鶴見大学、鶴見歯科大学があり、平日は、多くの学生さんが行き交っています。
その間を暫総持寺山門く進んで行くと、大きな山門が見えて来ます。山門を潜り抜けると右手に、「向唐門(むかいからもん)」が有り、私の学生の頃は、「勅使門」(ちょくしもん)と言って、登下校の時に一礼して通ったものですが、今は、やっていないようです。この門は、皇族の方がいらした時に使用されると聞いていましたが、一年に1回だけ、一般の人が通れます。
それは、大晦日(除夜の鐘が鳴らされる時)からお正月の三が日に初詣客の為に、門を開放してくれるのです。
余談になりますが、我家の恒例行事になっているのが、総持寺への初詣ですが、子供の成長と共に、家族全員で行くのは、年々困難になって来ています。寂しいような、嬉しいような複雑な親心・・・
さて、勅使門を右手に見ながら、緩やかな細い坂道を登って行くと、今度は、左手に大きな駐車場が有ります。私が学生の頃は、大きな蓮池だったのですが・・・その駐車場の片隅に、鶴見事故(1963年(昭和38年)で40年前の列車の脱線事故)で亡くなられた方々の慰霊碑と大きな観音様が有ります。この日は、お天気も良く、銀杏拾いをしている人達がいました。その様子を見ながら、さらに坂道を登って行くと、立て看板が目に飛び込んできます。
看板には「裕ちゃんの墓」と書かれ、矢印が。矢印の方向に進むとまた看板が、また矢印に誘導されて進んで行くと、国民的大スター「石原裕次郎」さんのお墓に到着です。お墓の門柱には、裕次郎と左右に書かれているので間違え様がありませんでした。
大きく広いお墓には、多くの綺麗なお花が飾られていました。私の印象に残っている「裕ちゃん」は、「太陽にほえろ」「西部警察」のボスだった、晩年の裕次郎さんなのですが、 この日も、老齢の男女の方達が何人も訪れ、立派な裕ちゃんのお墓の前で、じっとお墓を見つめているお爺さん。お墓の中の裕ちゃんと会話でもしているようにも見えました。
このような表現はおかしいかもしれませんが、「裕ちゃんのお墓」の辺りだけが輝いているのです。その様に感じたのは、気のせいだったのでしょうか。死して尚も、多くの人びとに愛され続ける「裕次郎」さんのオーラだったのではないかと・・・改めて、「石原裕次郎」という俳優さんの人気の高さに驚かされた一日でした。
お墓には、奥様のまき子さんの詩が彫られた立派な石碑も有ります。
最後に、まき子さんの詩をご紹介して、今回の小さな旅を終らさせて頂きます。
美しきものにほほえみを
淋しきものに優しさを
たくましきものにさらに力
すべての友に思い出を
愛するものに永遠を
心の夢醒めることなく
石原まき子